上演のための手引き

第四回「セリフで書くことと書かないこと〜いつだって窓際の話〜」

僕がセリフを書くときに大事にしているのは、演劇の「言えばそうなる」という力です。演劇では、ここは海だといえばここは海になるし、あれは星だといえばあれは星です。そしてその力が使えるのは見えているものだけに限りません。目に見えない感情も、言葉によってそこに生まれると僕は信じています。

僕がいままで書いてきたセリフはストレートに世界の中心で愛を叫ぶものが多々あります。長いのですが、一つ引用してみます。

image
ロロ「LOVE02」より

  鉄 「聞いて聞いて。俺はね、八ちゃんのことが好きで、それ、その好きはね、消えないんだよ、ほんとずっと。もし、俺が、八ちゃんのこと好きじゃなくなることが、ないんだけど、もしあってね、でも、それまで、好きだったことっていうのは、ずっとずっと、あるからだから、今、この好きは、今この好きで、昨日の好きは、昨日の好きで、それは全然ちがうくて、でも、その好きは、どっちもずっと、あるの、だから、時間が増えれば、好きっていうのは、どんどん、増えて、一回生まれた好きは、絶対死なないの、好きっていうのは生まれることしかしなくて、だから、俺は、二百年いきてるから、二百年の好きがあって、一秒一秒の好きがあって、その一秒の百分の一秒の好きがって、その百分の一秒の好きがあってって、だから、いまもう俺の中は好きでパンパンになってるの」

これは「LOVE02」という作品のセリフですが、いま数えてみたら、このセリフの中だけで「好き」というワードが17回もでてきました。自分でも恐ろしい「好き」含有量です。この作品は、このセリフ以外でもいたるところで色んな人がとにかく好き好きいいまくっています。これだけ聞くとめちゃくちゃヤバそうな作品に聞こえますが、でも「好き」という言葉を放てば、それがたとえ報われないものであっても舞台上に愛が立ち上がる。すごく極端な考えですが、僕はそう信じてセリフを書いてきました。

ただ、最近は「言えばそうなる」という力を、みている人たちに過剰に押し付けることへの違和感もあります。
海っていったときに、みんながみんな必ずしも海にみえる必要はないんじゃないか。空にみえる人がいたっていいんじゃないか。好きっていう言葉を言わなくても愛がみえることだってあるんじゃないか。「言えばそうなる」見立ての力も素晴らしいけど、演劇には「言わないことでみえる景色」だってあります。余白の力です。

僕は「いつだって窓際であたしたち」を通して、「言わないことでみえる景色」を立ち上げるセリフを書こうとおもいました。感情そのものをむき出しにした言葉ではなく、感情の輪郭をなでるような言葉を書いてみようとおもいました。

最後に、「窓際」のセリフを引用して今回はおしまいです。このシーンは、女子高生二人が、南アルプス天然水のCMをみながら会話をしているという場面です。

image-2

いつ高シリーズvol.1「いつだって窓際であたしたち」より

  白子 「このシーエム、あたしもすごい小さいころにみたんだ​けど、ずっと大鶴山の川だとおもってたんだよねロケ地。だから、大鶴山のこと、ずっと南アルプスだとおもってたんだよね。​でも、まあ大鶴山で撮影されてないわけじゃん実際。それで最​近さ、いってみたの、南アルプス」
​ 朝  「一人で?」
​ 白子 「一人……なのかな、まあいったの。でも、全然、ピン​とこなくて。やっぱり大鶴山なんだよね、あたしの中では。…」

次回は、実際にこのセリフを俳優にいってもらったときに、僕の悩んだことを書きます。