上演のための手引き

第一回「演劇と片思い その1」

僕がロロをスタートしてから今年で7年目になります。7年っていうと結構な時間が経った気がしますが、僕は演出家としてほとんど成長していません。(ちょっとは成長したとおもう!)

未だに悩んでばかりだし、失敗してばかりです。そのくせに、失敗したことをなかなか次に生かすことができず、再び同じ失敗を繰り返したりしています。そんな自分に嫌気がさしたので(そんな嫌気はとうの昔にさしてましたが)、戒めるために失敗の数々をここに記します。

(と、こんな風に最初の設定を決めすぎると、後々続かなくなるという失敗もすでに経験済みなので、全然違うことを書いたりするかもしれません。)

僕じゃない誰かが「いつ高シリーズ」を演出するときに、この失敗談が少しでも参考になればとおもって「上演のための手引き」というタイトルをつけました。僕はこのシリーズが、たくさんの人によって、各地で上演されることを夢見ています。

そもそも「いつ高シリーズ」ってなにかというと『いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三高等学校(いつ高)を舞台にした、連作群像劇_』です。連作群像劇っていうのはあれですね、物語は一つの世界だけど、話によって主役が変わっていくスタイルの作品、くらいにおもってください。最近だと志村貴子さんの漫画『娘の家出』がこのスタイルで書かれていましたが、登場人物全員の細かな心情が、連作という形式を通して見事に描かれています。

僕が連作群像劇を描きたくなったという理由はいくつかあるのですが、それを全て話すととても長くなってしまうので、今回はそのうちの一つについて話します。

僕はこれまで片想いというテーマでいくつかの作品を作ってきましたが、それは片想いという題材が、演劇ととても相性がいいとおもっているからです。

演劇は「ここ」と「あそこ」で出来ています。

演劇を作ってみます。

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舞台上に、机をいくつか並べて、窓枠を吊ります。すると、舞台に偽物の教室が出来上がります。(これだけじゃまだ足りなかったら、黒板や掃除用具入れなんかも置いてみます)。

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これが、この舞台においての「ここ」になります。観客が直接みることのできる場所です。じゃあ「あそこ」はどこでしょうか。窓からみえる校庭や、廊下や、隣の教室や、地元の駅などが「あそこ」です。「あそこ」は、観客は直接みることはできず、登場人物の会話などから想像するしかできません。

これって片想いに似てないでしょうか?

「ここ」をみながら、ここじゃない「あそこ」を想像するって、片想いのときの気持ちにそっくりだなあって僕はおもうんです。

だから僕は片想いというテーマを使って、たくさんの「ここ」と「あそこ」を描いてきました。でも、だんだんとそれだけじゃ足りなくなってきたのです。一つの作品の中の「ここ」と「あそこ」だけじゃなくて、もっともっと大きな視点で、それを描いてみたいと考えるようになりました。そこで、連作群像劇という形式にして、作品ごとに「ここ」から「あそこ」への片想いが次々に移り変わっていくような作品を作ることにしました。

(続く)